【平和の礎】は、第2次世界大戦後に海外から引揚げられてた人々の記録です。
先日は、海外開拓者の方々の記録の紹介をしました。
この【平和の礎】には、開拓者、軍属、そして、強制抑留された軍人の方々の
記録が各15巻編集されているものです。
私は未だに全巻を眺めてもいません。拾い読みを続けているといってよい
でしょう。
さて、いよいよシベリア強制抑留者の方々の手記を読むことになりました。
当然のことながら、この巻は男性の方のみです。
開拓者の手記には女性の手になるものもあり、とても参考になりました。
やはり、女性の視点は男性とことなります。この女性の視点が抜けている
歴史記述が多いのです。
シベリア強制抑留者の手記も女性の視点があればとかなわぬことを思っても
いました。
確かに「男性の美学」というものが表現に抑制を与えている場合があり、
素直な吐露ということが出来にくいという感じを受けて思ったことです。
私は、いつものようにマクドナルドの100円コーヒーを飲みながら、
(この前は、「お替りしましょうか」と言っていただき、大感激しました。
いったい、何時間いるのだよ。岩清水!)
読み進めていきました。
この手記群は、皆さんが渾身の力で書き綴ったもので、ひとつに文章とて
あだやおろそかにできるものではありません。
その中から、須藤富之助さんの「追憶ソ連抑留記」を紹介しましょう。
須藤さんは大正12年茨城県に生まれた。
昭和19年召集されて、当時日本に併合されていた朝鮮の平嬢第42部隊に
配属になる。やがて20年8月15日を迎える。その後、ソ連での長い
抑留生活の後に23年11月引揚船「高砂丸」で帰国を果す。
須藤さんは、3年余りの抑留生活を過ごした。そしてそれはとんでもない距離を
移動する過酷な旅でもあった。
20年8月~21年7月までの1年間は朝鮮の収容所で、いまかいまかと
内地帰還を待っていた。
ところが、移動命令はソ連に向けての旅だった。
暑さの中、苦難の海旅の後、ポセット港に着くと、この港の近郊にある収容所で
1ヶ月の労役に服するが、再び移動命令が出る。
21年8月、列車の乗り込む。目的地を目指すわけだが、一向に着かない。
まことに辛い旅である。
そして、なんと1ヶ月を要してたどり着いたのは、ウクライナの
アルチョセフスク駅だった。
あの広大なソ連の西側まで移動していたのだ。今でも列車で1週間かかると思う。
続く